留学生インタビュー

なぜ日本に留学しましたか

高校生の頃、姉が日本からのお土産として日本の歌が入ったテープをくれました。私はそれをよく聞いて、歌っていました。フィリピンの大学へ進学する際、歌を通して日本語に興味を持った私は、日本語を学べるアジア研究を専門に選びました。実際に勉強してみると、大学で様々な国の歴史や文化を学びましたが、もともと関心のある日本の歴史、文化、言語に大変惹かれました。卒業後、フィリピンで1年間短期集中日本語講座に通い、そこの学校で行われていた奨学金募集に応募し、アジア研究科で学んだことを日本で実際に体験できることとなりました。

日本語学校での勉強はどうでしたか?

日本語学校では、先生方がとても良く面倒を見てくれました。大学の推薦状を書いてくれたり、大学に提出する研究計画書の日本語を直してくれたりしました。また、大学選びや勉強だけでなく、学生が抱えている様々な悩みにも相談に乗ってくれました。勉強の面では、初めて日本語で数学や歴史を学びました。アジア研究科で歴史を学んでいた私ですが、教科書にでてくる歴史の単語が全然違うので、とまどいながらも、英語の教科書と比較し、奮闘しました。日本に来て7年目になりますが、日本語学校での生活が一番楽しかったです。なぜかと言うと、日本語学校の寮でいろんな国の友達と各国の料理を作ったり、お互いの国の話をしたりして、異文化理解を深めることができたからです。

学生生活をどのように送っていますか?

修士の時は、30単位必要だったので、週3~4回の授業を受けました。その時は、外国人修士課程の数が少なかったので、授業、レポート、発表など全てを日本語で行わなければならず、本当に大変でした。しかし、博士課程では、自己責任という形で、授業も単位もなく、自分の研究に向けて自分なりの勉強をします。月一回は総合セミナーが行われ、自分のやっている研究を発表します。私の修士課程での研究は、開発人類学の視点から、フィリピンのカラバルソン地域のタリム島住民(タリム島はラグナ湖にある島です)が現在進行中の開発計画に対して、どのような反応を示しているかを引き出し、その開発計画が適切に計画され、実施されてきたかどうかを評価して、「人間中心の開発」を提案する事を目的としていました。博士課程では、カラバルソン地域の事例研究を続行し、それと平行して、ラグナ湖と類似したセッティングにあると思われる滋賀県の琵琶湖周辺の開発計画との比較調査研究も行っています。今後、さらに、ジェンダー論をも含む開発人類学の理論と方法に関する研究を深めた上で、レフリードジャーナルに発表する論文を執筆する予定です。

アドバイス

私が思うには、留学に対して不安があっても、自分がやりたいことは夢を持って、やり遂げた方がいいと思います。日本語は難しいですが、それをバリアにせず、頑張って日本で自分の留学経験を積んでください。

掲載日:2003年3月26日