
「エコとエドを繋ぐモッタイナイ」
2004年「持続可能な開発、民主主義と平和への貢献」によって、環境分野の活動家としては史上初のノーベル平和賞を受賞したワンガリ・マータイ女史。女史によって日本語「もったいない」は3Rを一言で表現する言葉として広く世界に知られるようになりました。
今回は江戸時代の暮らしぶりを通して、「もったいない」の気持ちを自然に行動に表してきた日本人のライフスタイルをご紹介しましょう。
17世紀から19世紀初頭までの時代、江戸の町には約100万人の人々が生活していたといわれています。同時期の推定人口ロンドン86万人、北京95万人、上海5万人、パリ54万人、ニューヨーク6万人と比較しても江戸の町は随分と大きかったことがわかります。
その江戸の町には世界の他の都市にはない優れた「リサイクル」循環システムが様々ありました。
そのひとつは、し尿の処理です。放置すると悪臭や伝染病の発生源になる都市部のし尿を農村部へ運び肥料として活用したのです。しかも、し尿は資源としてとらえられており金銭や野菜と交換されていました。育った作物が都市で消費され、またし尿に変わるという経済と環境の両面からの好循環が出来上がっていたわけです。
 提供:環境省
ちなみに、環境省では、江戸時代を代表する浮世絵師である葛飾北斎がナビゲーターをする「北斎風循環型社会之解説」という環境パンフレットを作成しています。こちらもご覧になってみて下さい。
さて、「リユース」の例もご紹介しましょう。
江戸時代まで、布はすべて手織でしたから生産力は低くこの時代には大変貴重なものでした。ですから布は徹底的に使いまわされたのです。
例えば大人の着物は、着古されると次に子供用に仕立て直されます。やがてまた着古されて布地が傷んでくると解かれた後、袋物などの小物に作り直されるのです。さらに使い古された後はオムツにも活用され、最後には雑巾になります。その上、これが燃やされた後の灰は田畑の肥料となってリサイクルされたと言うわけです。
修理業者と買取業者の存在もリユースに欠かせない存在です。
刃物などを研ぐ者、割れたりひびの入った陶器などの道具を修理する者、古い鍋や釜などに空いた穴を修理する者、液体を入れる容器として使われていた木製の桶や樽の箍を締めなおす者など。どれも材料と道具を持った職人が町を巡回していました。
破れた傘の骨を買い取って歩く業者や帳簿などの紙製品で不要になったものを買い取って古紙問屋に持っていく「古紙回収業者」などの買取業者も様々いました。
変わったところでは「紙くず拾い」。古紙回収業者」とは別に、買い取る資金を持っていない業者のことです。彼らは町中をせっせと歩き廻って落ちている紙を拾い古紙問屋へ持っていき買い取ってもらう。彼らはその稼ぎで最低限の生活ができたといいます。リユースがいかに進んでいたかを示すエピソードではないでしょうか。
「もったいない」に感銘を受けたマータイ女史は、その後この意思と概念を世界中に広めるために他の言語で該当する言葉を探したが、「もったいない」のように、自然や物に対する敬意や愛などの意思(リスペクト)が込められている言葉が見つからなかったと伝えられています。
地球規模でも環境問題の深刻化が叫ばれる今、古くから「もったいない」精神を持ち合わせてきた日本人の知恵は、これまでもそしてこれからも持続可能な社会の実現に大いに貢献してゆくこととでしょう。
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