留学生インタビュー

私は1974年に文部科学省奨学生に選ばれました。日本は全く違う文化を持ち、言葉も違うので、私は人生最大のチャレンジだと思い、挑戦してみようと思いました。そして1974年から1977年まで徳島大学の工学部に在籍しました。徳島大学では、先生方にも良く面倒を見て頂き、また留学生の数が少ない事もあって、私の日本語はとても上達しました。その甲斐あって、1977年に東京大学博士課程の面接では、先生方に大変驚かれ、晴れて日本で最も権威のある東京大学に合格することが出来たのです。

日本に留学中で、最も印象に残っている出来事は、私が駒場留学生会会長だった1979年8月の出来事です。私は新聞で当時の大平正芳首相の記事を見て感銘を受け、首相宛てに手紙を書きました。すると数日後、なんと首相自らが駒場学生寮を訪れることになったのです。私は留学生たちに日本で住んでいて困ったことなどを聞き、調査をしたことがあったので、大平首相に留学生たちの問題を説明し、ディスカッションをしました。その結果、留学生のための家族寮が設立されるなどたくさんの改善がなされました。

私は東京大学大学院卒業後、カナダのDepartment of Electrical Engineering, Windsor Universityにて助教授を一年間勤めた後、研究技師としてサウジアラビアのKing Fahd University of Petroleum and Mineralsへ移りました。そこでは伝送回線の問題に関する研究チームが設けられ、私は様々な研究成果を上げ、研究者の中で「最優秀賞」を何度も受賞しました。10年間サウジアラビアにいた後、パキスタン政府が日本政府の資金援助プログラムを通じて国立技術研究所を設立することを知りました。パキスタン政府は電気工学およびエネルギーの分野で専門家でありながら、日本語ができ、日本のことを良く理解し、正確に研究施設を運営できる人を探していました。私は自分の国に貢献するために、また日本政府に恩返しをするためにこの研究所で勤めることにしました。この研究所はパキスタンで製造された電気機器の品質改善に中心的な役割を果たし、今までは外国に支払われていた外貨を大幅に国のために節約することができるようになりました。また電気機器の品質改善に伴って、電力供給ネットワークの信頼性が飛躍的に向上し、エネルギーの浪費が節約されるようになりました。今ではパキスタンの90%の電力がこの研究所から供給されています。私は現在でもこの研究所で、国際的な研究発表を行い、またこの分野でリーダーシップをとりつつ人材を育成し、パキスタンの電気機器製造部門に大きく貢献しています。

私は現在パキスタンの元国費留学生会「MAAP」の副代表を務めています。MAAPの基本的な活動は1ヶ月に1度の会合、3ヶ月に一度のニュースレターの発行、JICA、日本大使館との交流などです。その他に、留学の決まった文部科学省奨学生のカウンセリングを行ったり、パキスタンで働く事になった日本人にきちんとした医師など紹介したりしています。今後はパキスタンのみならずいろいろな国の日本留学経験者との連携も深めていきたいと思っています。また、日本の様々な大学の教授たちとの連携も深め、パキスタンの学生がより日本に留学し易い環境作りをしたいと思っています。

これから日本に留学したいと考えている学生へ3つのアドバイスがあります。 まず第1に、日本に来る前に日本語を勉強して来た方がいいということです。私の場合、日本に来てから、日本語の勉強をしたので、専門の勉強以外に日本語の勉強に時間をたくさん費やすことになりました。来日前から日本語が分かっていれば、もっとうまくやることができたのではないかと思っています。第2のアドバイスは、来日前に自分の勉強したい専門分野をきちんと決めて来ることです。日本大使館やインターネットで調べて、学びたいと思う教授を探す事が大切です。なぜなら、日本の場合、専門分野や教授を変更することはとても大変であり、また教授に対して失礼に当たるからです。私からの最後のアドバイスは、来日したら、勉強ばかりではなく、色々な所へ旅行に行った方がいいということです。日本の綺麗な場所を訪れ、歴史を肌で感じ、日本人と交流することによって、日本についてもっと深く知る事ができるようになるでしょう。

掲載日:2003年10月7日