留学生インタビュー

日本に留学した理由

1960年代初頭から私は既に、溝口健二の「山椒太夫」、「近松物語」、「西鶴一代女」、小林正樹の「怪談」、「切腹」、黒澤明の「蜘蛛巣城」、「七人の侍」、「隠し砦の三悪人」、「羅生門」といった日本映画に夢中になっていました。 これらの映画は、シャイヨ宮シネマテークや当時パリに存在した数多くの実験映画劇場の回顧映画祭で気軽に見ることができました。力強いストーリー展開と傑出した審美的演出を別とし て、私を魅了したのは、文字、衣服、建築、武道、禅庭園といったいずれもが、形の様式化として映る文化の等質性でした。パリ国立高等美術学校で建築を専攻していた当時の私は、パリ、チュニス、モントリオール、ニューヨーク、或いはジュネーブでも、すべてのビルが皆似通っていることに注目していました。1964年のオリンピックのために丹下健三氏が代々木の丘に作ったスイミングプールやスケート場といった見事な競技場を見て感服して以来、日本はその特質を保ちつつも、「現代」に入ったという印象を持ちました。そして実際に自分の目で確かめてみたいと思ったのです。驚くほど身のこなしの美しい剣道と居合道を1969年から始めたことは、日本を総体的に発見したいという私の願望を更に強くしました。

日本に留学中のこと

最初の半年間は、大阪外大の入試合格を目指して、一日8時間の日本語の学習に専念しました。他方、剣道の稽古も、関西で最も名高い大阪城の尚道館で毎日行い、週末にはすぐ近かった奈良や京都へ足を伸ばし、建築家の私にとっては汲めども尽きない泉である寺院や庭園を徹底的に訪ねました。   その後は東京で、耐震建築に関する学位論文を準備するのと並行して、毎日の剣道の稽古を、知人から推薦いただいた卓越した老師、元皇室道場教授の岡田守広8段範士の下で行いました。その並外れた教養のおかげで、厳しい剣の道の他にも、日本の伝統的な建築について多くを教わりました。彼は書道の8段でもあり、優れた建築家になるために、常に毛筆で書くよう、書いてはまた書くようにと私を励ましてくれました。あらゆるものに好奇心を持つ私は、熱心に相撲試合をフォローし、デパート最上階の様々な展覧会や美術館等を見学しました。剣道には傑出した人物が集まっていて、下高井戸の尚道館道場で出会った友人達のおかげで、古い寺院の再建、現代建築の特殊な基盤工事等の現場に立ち会うことができました。
  毎日、日記をつけたことによって、日本についての本を何冊かはじめて執筆することができました。

帰国してからの日本との関係

帰国してからも日本との関係は絶たれることがありませんでした。第一には、剣道の稽古を続けることで、友人となった日本の師匠や学生達と定期的に接触を保っています。第二には2~3年毎に訪日し、現在、岡田守広師匠の孫にあたる岡田守正氏が経営する下高井戸の道場に通うために3週間を過ごします。守正氏は仏日協会「尚道会」を結成し、私が会長に就任しています。毎年夏に実施する特別研修の折には、彼を団長とする代表団がパリに来訪するので、私が受け入れ役を果たしています。お祖父様の弟子の一人であることで、新しいご縁が生まれます。

日本に留学中或いはこれから留学する学生への一言

専門分野の研究の他に、とにかく何か一つ伝統芸術に興味を持つことです。師を見出し弟子となるには、剣道は理想的です。なぜならそれは、日本の心であり日本文化の精神と言えるからです。しかし、書道、華道、陶器、漆器、石庭に砂利を引く石組み、何でもかまいません。日本留学時代の中国人の友人は能面彫りを学んでいましたが、彼の話は非常に面白いものでした。一つの伝統芸術に対して、深い、誠実な、そして辛抱強い興味を抱くことは、その国のあらゆる芸術やその精神に通じる入門儀式であり、無二の経験となります。それは日本語しか話さず、日本語で理解することを強いられる機会です。留学生は各々がこの経験を積む勇気を持って欲しいと思います。「真の」日本からは外れて通り過ぎてしまうことがないように。古の剣道の教えにも、実践と知識は一つのものでしかないとあります。

掲載日:2003年6月5日